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赤田おじさんをご存知ですか?2013.03.25

いつもあざみ野FCを応援してくださる「赤田おじさん」こと松尾健司さんが「どりぶる」へ記事を書いてくださいました。
紙面では全文を掲載できませんので、HPにて紹介させていただきます。


「追っかけ」の楽しさ       松尾(旧姓赤田のおじさん)

私の人生は「追いかけられる」よりも「追っかけ」を得意としている様に思う。
子供時代は九州の西  伊万里で「巨人軍長島」にあこがれて育った。学生時代は「山」を「追っかけ」夢の中ではシルクロードを「追っかけ」た。社会人になり妻を「追っかけ」た。一姫2太郎の子供が成長すると綾瀬の強い野球チームを「追っかけ」た。追っかけすぎて2太郎の二人子供も1年生から野球少年にした。外野での球拾いの手伝いをするうちに野球帽子を渡されて知らないうちにコーチ見習いになっていた。この少年二人は父親にホームランのプレゼントはなかった。失意の気持ちでほぼ10年のコーチ業を終えて逃げるようにあざみ野に流れてきた。
横浜のチベットといわれていたあざみ野に移ってほぼ20年になる。1年ほどサッカーにはあまり興味がなかったが有名な水沼選手の子供がいる「あ
ざみ野FC  3年」を「追っかけ」てみた。ある日  若い(?)村上代表から「サッカーは攻守で1:1の時  パス以外に色々なバリエーションがある。私は昔  子供に「股抜き」された悔しい経験がある・・・」との話をきいた。それまで  TVで見るゴールシーンだけにしか興味がなかったがこの「股抜き」を見たくなった。退屈だったサッカー観戦が俄然楽しくなってきた。
金井・水沼選手時代の強い「あざみ野FC」の「追っかけ」からはじまりその後  数年続いた高木3兄弟の「追っかけ」時代も終わった。3兄弟の末っ子は3年生からベルディに移って全日本で優勝し得点王なった。私は「狂乱のバブル時代」を乗り切り反動の「失われた20年」をしのいだ団塊の世代に当たる。ふと気が付いたら定年を迎えていた。思い
切って生まれ故郷で  今はやりの「田舎暮らし」をすることにした。環境が変わり妻の小
言から解放され気楽な単身赴任である。同じ境遇の夫婦で離婚したとの話もちらほらあ
った。あわよくば 学生時代 夢見た「シルクロード」を狙っていた。
田舎暮らしでは必需品の中古車を5万で手に入れ遠路伊万里に向かった。
趣味程度の野菜つくりのかたわら  地元の少年サッカーと少年野球を「追っかけ」た。特
に  元首相の生まれた飯塚市に「庄内ジャガーズ」とゆう強いその年に日本No2の少年
野球チームに夢中になった(前年はNo1)。伊万里から博多の北にある飯塚市まで100キ
ロ以上ある。
このチームは都会チームのような派手さはないが  指導者の情熱と雑草のようなたくまし
さと勝つための必要な「壺」を心得たチームで  九州の野球少年の目標にもなっている気
がする。サッカーチームにと例えると関東の「新座片山FC」に似ている。
また伊万里湾の見える大きな農家に似合わない高速のインターネット回線を引き込みホ
ームページで「あざみ野FC」の試合を楽しんだ。はやりの「雨読晴耕(旅)」を満喫し
たわけである。

シーズンオフの夏にシルクロードへの手始めに西安へ飛んだ。シルクロードへの入り口に
あたる。始皇帝の「兵馬俑」に仰天した。冬にはウルムチを起点に新疆ウイグルを放浪
した。だんだんと風景が西と東の文明がミックスした石と砂の世界が堪能できる。次の夏 
イスタンブールを起点にトルコを放浪した。ヨーロッパに近いアジアの西端であるこの国
は東西交流の要にあるので複雑な歴史と深みがある。宗教はイスラム教で彫の深い顔立ち
の美しい女性に目を奪われた。
次の年  シルクロードの終点ローマを通り越して「ガウディ」と「メッシ」のいるスペイ
ン(バルセロナ)を楽しんだ。帰りにインドの「タージ・マハル」の美しさにふれた。イ
ンドは仏教の生まれた国で仏教の親戚(?)と言われているヒンドゥー教がメインある。
カースト(複雑な身分制度)に何度か困惑した。東南アジアの旅ではプノンペンから川船
でアンコールワットをまわりそのまま北のハノイを放浪した。
地球の裏側にいても「あざみ野FC」にはインターネットで常に会っているので寂しくは
ない。今の地球は狭いものである。
日本の「四季おりおりの美しさ」と「心のやさしさ」と「平和ボケ」を外から感じた。ま
た度胸と身体語だけでは通用しない世界を存分に味わった。
この旅で孫達に伝えたいことは、英語の文法は引き出しにしまって  生の英語で(身体
語は3割ぐらいで)  世界の人と目を見て話せる大人になってほしい、その1点だけであ
る。

一昨年  春  イノシシに畑を荒らされ  懐も気持ちも寂しくなり愛妻のもとにそっと戻
ってきた。スープの冷めないところに引っ越していた孫達はもう小学3年になり少し残念
だが野球少年として活動期に入っていた。その年にあざみ野FCは大久保少年時代以来10数
年ぶりの全国大会に行くことになった。監督の涙と同じく私も感動した。当然  富士の裾
野に「追っかけ」た。
順調に勝ち上がり  大宮アルデジィージャ戦  前半2点先行して  99%決勝トーナメント
進めると思っていたら  守りの堅いあざみ野FCがなんと後半キッチリ3点を取られて逆転
負けを食らって敗退した。あざみ野FCにとって悪夢の20分である。
それから6年生のお母さんと顔を合わせるのが辛くて「追っかけ」のメインを次の下の学
年に切り替えた。結果からいえばこの学年は不運である。  逆の見方をすれば例年になく
試練の多い(精神的な成長には恵まれた)学年である。
まず始めは 正月明け、静岡での5年の招待試合である。初戦 「新座片山FC」に惨敗し
た。「新座片山FC」はその年全国大会に優勝したチームで  並はずれたスピードのFWを
抱えている。
そのショックンなのか  次の市長杯トーナメント1回戦、自陣ゴール付近で珍しくあざみ
野FCの選手が倒された。誰もがファールと思い動きが止まった。笛はならない。身体能力
の高い相手チームのFWはその一瞬を逃さず一人かわしてゴールを決めた。あざみ野の動
揺をみこしてか  次の数分後に同じ子が巧みなドリブルでゴールを決めた。あざみ野FCは
後半にエースのヘッドで1点返すのがやっとで負けた。毎年5~6回は横浜球場に行く楽
しみがこれでなくなった。その後  またお母さん達の顔を見るのが辛くて遠く隠れて「追
っかけ」ることになる。
3番目の試練である。
秋の市大会、予選からマリノス・バディと同じグループに入った。私の20年の記憶では横
浜市の「ビック3(?)」が市大会予選で同じグループに入ったとゆう記憶がない。赤田
のホームグランドが慶応付属小学校用地に決まったので今までのようにグランド提供がで
きなくなったのが裏目に出たようだ。春に渋谷でのある招待試合で競り勝ったマリノスと
全国大会に行ったバディに敗れて予選敗退となった。
ここ数年、バディは各学年とも充実しており「あざみ野FC」もタジタジの状態にある。
「J2ベルディ」も「バディ」の傘下に入ったとの噂もあるくらいである。3年前はセン
スあふれるFW渡辺君の活躍もあり全国大会で優勝している。
この年の暮れの4年のマリノス杯招待がこなかったことも含めて「あざみ野FC」にと
っては不運(?)の続く年である。私は珍しく暮れ・正月明けは暇をもてあましてアルコ
ールの量が増えてしまった。

不運と試練の続く「あざみ野FC」にかすかに光り始めた学年がいた。
一昨年の市秋の大会で「あざみ野FC3年」が予選で初戦「バディ4年」とあたるこのにな
った。守りに評判の「あざみ野FC3年」は何点くらい取られるかぐらいの軽い気持ちで
「追っかけ」てみた。なんと逆にあざみ野FCが「5-0」で完勝したのである。このところの私のイライラがどこかに消えた。マスコミ風のオーバーな表現を借りれば「歴史的一
瞬」に居合わせたことになる。大勢のギャラリーは信じられないほどの驚きで試合に釘付
けになっていた。それから  また私の得意の「追っかけ」が始まった。アントラーズ杯で
は今売り出し中の「レジスタFC」との決勝戦を堪能した。守りの堅いあざみ野FCがレジ
スタの天才的な小柄な一人のFWに終了間際  振り切られて「1-0」で負けた。あざみ
野FCのゴールキーパーは優秀選手賞をもらった。
4年生になり  市春大会には初戦「F・マリノス」と決勝「フトゥ‐ロFC」からの2失点
だけで優勝した。(誰にも止められない4年とは思えない超ロングのフリーキックの2失
点)
市の他の強豪も目が覚めたのだろうか?  その後  「チャンピオンシップ」でSCHに負け
た。秋の市大会にはバディに負けた。どのチームもあざみ野FC打倒を目指して精進してき
たのだろう。肩をおとした母親が少し気になり「勝つことよりも負けることの成長度?」
を話して慰めたくらいである。
大昔  子供の国での大きな大会であざみ野FC四年生が「Jスポーツ」と決勝戦を戦った
時である。コーナーキックをヘッドで入れられてあざみ野FCが負けた。Jスポーツ監督
のコメントが面白い。「うれしくて3m飛び上がりました・・・」。オリンピックの選手
並みである。それほどまでの「打倒  あざみ野FC」と目標にしている他のチームの本音
であろう。
「追っかけ」てしいると子供たちの性格とか監督の目指すものが見えてくる。
怖いもの知らずで「へディング」に強い子・DFにセンスのある負けず嫌いな子・意外性の
あるミドルシュートの好きなFW・・・・巧みな3点セット(攻守の切り替の早さ・足技
・アイデア)の他に性格を生かしながら各々を競争させている様子がわかってくる。手抜
き(?)をすると即交代のようである。マリノスカップではアントラーズカップ賞をもら
ったGKの姿がなかった。お母さん達が夢中になるのもうなずける。
次は冬の県大会である。多分  市の4年生で4強思われる「SCH・マリノス・バディ」あ
たりが勝ち上がってくるのだろう。一連の試練で鍛えられた6年生も含めて楽しみな熱い
冬である。

さて 我が期待の孫は 青葉区のある野球チームの4年である。
青葉区にはサッカーチームと同じく20チームがある。サッカーと違い子供の数が少ない
のでほぼマンツーマンで指導しているチームもあるようだ。その点では野球少年はサッカ
ー少年よりも恵まれているといえるかもしれない。少年サッカーと違い区の大会でいい成
績をおさめないと  上の市・県レベル大会に進めないので父兄・コーチの熱意はサッカ
ー以上かも知れない。甲子園で活躍した桐光学園の左腕松井投手は青葉区のあるチームに
いたようだ。
サッカーの試合のないある土曜日の午後、孫をバッテングセンターにつれて行った。10歳
にして時速90キロの球速に振り遅れが気になった。次の日曜の試合でなんとレフト前にヒ
ットを打った。おじいちゃんに孝行(?)する孫になんとなく心騒ぐものがあった。
「30年前の私の二人の子供と違ってホームランを打ってくれるかも・・・」との思いであ
る。
大昔ソフトボールのエースだった我が愛妻は孫の野球を「追っかけ」だした。ホームラン
の味と三振を取る爽快感を肌で感じたことのある愛妻は  口先だけの元10年コーチよりも
強い。実生活と同じである。

パソコンにあざみ野FCの各学年の予定表と孫の野球チーム予定表を作成するほどに忙し
くなり心が乱れてきた。週末には色分けして「追っかけ」の優先順序を決めるようにな
った。
我が孫の「野球チーム」と「あざみ野FC」比較すると  富士山登山口2合目の砂場で足
をとられてあえいでいるイメージと9合目付近で最後の登りに苦闘する「あざみ野FC」
のイメージとが重なる。ここにきて  改めて「あざみ野FC」のすごい技とパワーを認識
したことになる。
最近  平日は暇なのでぼんやりと図書館なので「野球」と「サッカー」の比較をしてい
る。発祥の地イギリスで生まれた両スポーツはなぜか大きな違いがある。野球はまずアメ
リカ大陸・サッカーはヨーロッパ大陸に渡った経過にも関係するのかもしれない。
思いつくままに書いてみる。
・ 一方はデジタル的でもう一方はアナログ的な面(データー化の問題・動きの問
題?)
・ 全身を使い全力投入のスポーツと「足の力」を加減(コントロール・フエィン
ト)するスポーツ
・ 環境にナイーブとアバウトな面(微妙な指先のタッチを気にすることと雪でも泥
んこでも気にしないスポーツ)
ただ  最近の少年野球で気になることが一つある。打者でランナーがいないのに1球ごと
にベンチのサインを確認している子供がいる。サッカーはパスを出すたびにまたシュート
タイミングでベンチを見ることはない。(私のコーチ時代は盗塁のサインとランナー3塁
でバントのサインとぐらいしか出した覚えがない。そのためか  負けることが多かったが
・・・)
「みんなで渡れば怖くない・・他力本願・・・」日本の政治家を見ているようで好きでは
ない。
ここ1年 大昔の「躍動感あふれるあこがれの長島」の思い出が復活したのだろう。
週末には野球の「追っかけ」も増えてきた。当然  そこにコーチ代理のような怖い愛妻が
いつもいる。ある夏の招待試合のことである。サッカー観戦からそのまま移動してサング
ラスをして応援していた。  孫がタイムリーを打った。うれしくてベンチに戻ってきた孫
に「おばあちゃんにハイタッチ・・・」と大きな声で叫んでしまった。なぜか恥ずかしそ
うに愛妻は下を向いていた。あざみ野FCには「派手な応援禁止?」の習慣があり  その
20年間の反動が出たようだ。また野球にはサングラスはピッチャーの集中力を乱す(?)
のでタブーと後で知った。
それ以来  40年以上連れ添った二人はなんとなくしっくりこない。夕飯時の会話もかみ
合わなくなってきた。また単身田舎暮らしをするわけにもいかない。一緒に応援席にいる
のを嫌がるようになった。夫婦円満が一番と仕方なく折れて一人で遠くから双眼鏡での観
戦することが多くなった。今度はチームのコーチ・母親連中から「試合前の敵チームのス
パイ・・・」と噂になったようである。この  あざみ野の老人(旧姓赤田のおじさん)は
サッカーも野球も誤解されることが多いようだ。(大昔  池田小学校襲撃事件時代は  サ
ッカーママによく職務されたものである)。ただ孫が活躍すると老夫婦の会話も弾む。ビ
ールもうまい。ちなみに  単純な愛妻は韓流ドラマは別にしてサッカーとパソコンには興
味がないようだ。
さて  この冬が終われば孫も期待のあざみ野FC4年も大切な大きく成長する過度期の5年
生である。
パソコンと妻のご機嫌をうかがいながらの慌ただしい1年になりそうである。
ただ  サッカーの「股抜き」と孫の「ホームラン」を「追っかけて楽しむ」気ままな老人
は誰よりも幸せなのだろうと思うこの頃である。